プロダクトづくりの現場では、共通のwhyが重視される。ミッションやビジョンに共感した人が集まり、同じ方向を向いて動く。それ自体は大切なことだ。
ただ、個々のwhyはどうだろうか。チームメンバーそれぞれがどんな物語を持ち、何に違和感を覚え、何を大事にしているか。そこに目が向いているチームは、意外と少ないのではないかと感じている。
共通のwhyが強い組織では、「自分がそれをなぜ大事だと思うか」や「ここがおかしいのではないか」という個人の声が出しにくくなることがある。共通のwhyに対して自分がどう貢献するか、という文脈でしか語ってはいけない空気になる。
でも私は、自分の違和感やモヤモヤを起点にアウトプットすることが大事だと思っている。共通のwhyへの貢献だけでなく、自分がどう感じるか・何が引っかかるかを言語化すること。そう考えると、書くことの意味が少し変わってくるかもしれない。
では、自分の違和感を起点にアウトプットするとは、具体的にどういうことか。
メンタルモデルをアップデートし続ける
私はここ最近、自分の違和感を起点にアウトプットすることの意味は、メンタルモデルをアップデートし続けることにあると考えている。
メンタルモデルとは、自分が無意識に持っている世界の前提や解釈の枠組みのことだ。ピーター・センゲは「私たちの心の奥深くに根ざした世の中の前提、一般理論、絵、イメージまたはストーリー」と説明している。誰もがメンタルモデルを持っていて、そのメンタルモデルを通して世界を見ている。その上に積み上がるのが、自分が意識的に言語化している思考や判断、つまりロジックだ。限定合理性という考え方があるように、そのロジックは自分の見える範囲や前提に基づいている。
自分の違和感を起点にアウトプットするとは、このロジックを他者に開くことで、自分のメンタルモデルの輪郭に気づいていくプロセスではないかと思う。メンタルモデルが更新されると、同じ経験も違って見えてくる。前提が変わるからだ。それは道具として使われる関係ではなく、当事者として関わる関係に近い。自分のメンタルモデルの更新は自分にしかできない。
こだわりは、センサーの違いである
その違和感やこだわりは、センサーの違いから来るのではないかと思っている。
エンジニアは「このアーキテクチャは冗長で美しくない」と感じる。デザイナーは「この余白が気持ち悪い」と感じる。同じプロダクトを見ていても、何に引っかかるかは人によって違う。職種に限らず、人はそれぞれの特性によって異なるものにセンサーが働く。
以前書いた「プロダクトを作ることはシステムに加担すること」の中で、変化の起点は個人の衝動や好奇心にあると書いた。「これはおかしいのではないか」「もっとこうできるのではないか」という個人的な違和感や興味。それがアウトプットされて誰かの目に留まり、共感や協力が生まれる。このセンサーの差異こそが、その人固有のwhyの源泉ではないだろうか。
こだわりとは、言語化される前の自分のロジックでもある。
アウトプットは何をもたらすか
自分の違和感を起点にアウトプットするとはつまり、自分のロジックを言語化して外に出すことだと思う。
山内祐平・森玲奈・安斎勇樹『ワークショップデザイン論』では、創る活動の学習目標を高次学習型・内省型・創発型の3つに分類している。高次学習型では要素を捨てたり抽象化したりする中で従来とは異なる認識の枠組みを獲得できる。内省型では作品として形にすることで意識していなかった価値観やこだわりを発見できる。創発型では他者の試行錯誤を観察することで触発を受け、誰も想定していなかった新しいパターンが生まれる。
アウトプットすることで、自分のロジック=限定合理性が外に出る。他者と比較することではじめて、自分がどこまでしか見えていなかったかに気づく。つまりアウトプットは、一人でも双方向でも、メンタルモデルをアップデートする。「その手があったか」という感覚を持ったことはないだろうか。誰かの話を聞いて、自分の見えていた世界の輪郭が変わるような瞬間。それは個々のwhyがぶつかることで生まれる。
慶應義塾大学出版会 | ワークショップデザイン論 第2版 | 山内祐平 森玲奈 安斎勇樹
なぜ組織は共同探究的であるべきか
共通のwhyだけを追いかけると、個々のwhyは蔑ろにされやすい。効率性や経済合理性を優先するとき、個人の違和感やこだわりは「余計なノイズ」として扱われがちだからだ。個々のwhyが必要とされなくなり、「その手があったか」は起きなくなる。メンタルモデルが更新されなくなり、組織はゾンビ化していく。
個々のwhyを育てることで、共通のwhyはより豊かになる。異なるwhyを持つ人々が出会い「その手があったか」を生み出し続けることが、組織を適応的に保つのではないかと思う。その営みは短期的には高コストに見えるかもしれないが、長期的な組織の生存コストではないかと思う。CULTIBASEはそのコスト効率を上げるための方法論を知見としてシェアし続けている。
AIが多くの実装を担うようになった今、いかにメンタルモデルをアップデートし続ける仕組みを組織として作るか、が問われるのではないかと思う。Andrej Karpathy(OpenAI共同創業者)は「思考は外注できるが、理解は外注できない」と言っている。メンタルモデルの更新も、外注できない。共同探究的な組織こそが、その答えのひとつではないだろうか。
個人は何をアウトプットすれば良いのか
自分のセンサーが反応したことをアウトプットすれば良いのではないかと思う。こだわりを込めた作品を通して、誰かのメンタルモデルをアップデートすることができる。
こだわりが誰かに必要とされる世界、個々のwhyが尊重される世界とは、それぞれのwhyが誰かのwhyを更新し続ける世界ではないかと思う。
自分の違和感を起点にアウトプットすることは、無駄ではない。むしろそれが、面白いストーリーに加担し続けるための出発点になるのではないかと考えている。
参考文献
- ピーター・センゲ『学習する組織』
- 山内祐平・森玲奈・安斎勇樹『ワークショップデザイン論』(第2版)慶應義塾大学出版会、2021年
- Andrej Karpathy「Sequoia Ascent 2026」https://karpathy.bearblog.dev/sequoia-ascent-2026/
